久慈市枝成沢集落に碁石地区があります。昭和40年代までは10軒ほどの戸数で、つい最近まで集落には「枝成沢小学校」がありました。
この碁石地区は、琥珀を産出する白亜紀後期(約6,600万年~1億500万年前)久慈層群の中でも多産地として有名でした。
今でも、碁石地区のそちこちに無数の琥珀採掘場=「くんのこほっぱ」跡が残されています。
くんのこほっぱ~京のお香「薫陸香」材料の堀場から転化~native conversation👍
かって、このガニ穴ホッパの上には「琥珀神社」が祀られていた。
この看板は、由来を記した物。碁石総本家の持山で、神社の御披露目には、くんのこ堀り関係者など多くの人が集まったという。
そして碁石大家でのお振舞いには、豪華な弁当が配られたと言う。
今神社は跡形もないが、つい10数年前まで、朽ち果てた祠が残されていた。
碁石琥珀は多産するが、SiO2二酸化ケイ素分が多く含まれ、脆さがあった。
上の写真は碁石琥珀原石、二酸化ケイ素の白く薄い膜が見られる。
それでも、太平洋戦争の戦時下にあって船舶、航空機の代用塗料=琥珀ペイントなどの原料として重用された。
*昭和17年琥珀神社勧請記念~祠前に多くの人が集まり記念に写真撮影!
*くんのこ掘り棟梁~故碁石宗一氏と保管の碁石産琥珀
故碁石宗一氏の採掘用「片ツル」替え芯、タガネ、ゲンノウ=小ハンマー
碁石大道の「水平坑」、狭い入口から中に入ると、手堀り開削の壁面に琥珀が散在する。
このコウモリの種類は?「くんのこコウモリ」?!~「コギクガシラ~」?
ハンドメイド~手掘り感いっぱい !!
碁石ホッパを代表するすり鉢状のホッパ坑口、内部で別のホッパと繋がっている。
昭和13年中の川(ヒカゲ畑)に理研琥珀工業㈱鉱業部の直営ホッパが稼働し、近隣から多くの人が来て稼いだと言う。(現場で働いたお年寄りの証言)
八戸藩・盛岡藩の記録では江戸期に既に碁石琥珀の採掘が始まっていて、江戸後期特にも幕末には盛んに採掘が行われた。
近隣の久慈市大川目町「外里遺跡」などでは、縄文時代中期の琥珀片が出土していることから、琥珀採掘と利用の歴史は古い。
盛期は太平洋戦争前および戦時下で、まるでアンバーラッシュの如き状態で、我も我もと競ってくんのこ働きに手を挙げたと伝えられている。
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