北三陸 久慈琥珀博物館「エカテリーナⅡ世~女帝が愛した琥珀芸術ー」6月18日(日)が最終展示!!

 ロシアの母と呼ばれ、国民から愛されたロマノフ王朝4人目にして最後の女帝エカチェリーナⅡ世。


 北ドイツ貴族出身のエカテリーナⅡ世は、夫ピョウトルⅢ世に替わり34年間の統治時代にロシアの近代化・強国化を成遂げ、その一方で絵画を始めとする芸術品を収集し、現在のエルミタージュ美術館の礎を築いた啓蒙専制女帝君主です。


 15~16世紀のモスクワ大公国、そして16世紀末の動乱時代を経て1613年ロマノフ王朝が成立、ピョートル1世時代の北方戦争でスウェーデンよりバルト海沿岸を奪取、1712年サンクトペテルブルグを首都とし、エカテリーナⅡ世の時代(在位1762~1796)にはヨーロッパ列強の領土拡張競争に伍して、ポーランド分割や黒海進出、シベリア・カムッチャカ半島からの南下政策など領土拡大とロシア帝国の基盤を固めたと言えます。


 伊勢白子(鈴鹿市)の船頭「大黒屋光太夫」が江戸への航海途次、漂流しアリューシャン列島に漂着、その後シベリアからサンクトペテルブルグに向かい1791年エカテリーナⅡ世の謁見を得て、翌1792年遣日使節のアダム・ラックスマンと伴に北海道根室に帰着した話は、あまりにも有名です。


 この女帝がエカテリ-ナ宮殿に「琥珀の間」を作り、琥珀をこよなく愛し琥珀芸術の最高峰と言われるほどに財力を注ぎ込み、ロシアの至宝を完成させたのです。


 「琥珀の間」は第二次大戦中ドイツ軍に解体されて持ち去られ、行方が分からなくなりましたが、その後の1979年から24年という年月を経て修復委員長の故A・A・ジュラブリョフ氏ら多くの琥珀職人の努力と技術力によって復元完成されています。 


 旧ソ連邦ゴルバチョフ大統領の「ペレストロイカ」体制以後、幾多の政争・クーデターなど内戦状態をくぐり抜け、ロシアの政治体制が安定し、復元作業の終盤にドイツルールガスAG社の援助を得ることで作業は急ピッチの進展を見せ、サンクト・ペテルブルグ市政300周年に併せて「琥珀の間」修復復元が完成したのでした。


 1995年修復作業はおおよそ全体の25%ほどのセッテング完了段階でしたが、ロシア国内政治体制の不安定さや経済的な混乱期にあたり作業の進展がままならない時期があり、その頃故A・A・ジュラブリョフ氏ら3人の琥珀芸術家が久慈市に滞在・制作した琥珀モザイク画「ルーシー・戦争と平和」「黄金の華・金色堂」「琥珀色の夜明け・久慈」の三部作や、その持てる象嵌技術、カメオ彫り、インタリオ彫り、日本の漆金箔技術を駆使した琥珀工芸品、サンクト・ペテルブルクの姉妹博物館より寄贈を受けた琥珀の間の工芸品などを間近に観察できます。


 開期は、いよいよ6月18日(日)までとなりました。この機会をお見逃しなく、ご見学ください。

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